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シネマ・リハビリテーション

30歳になって感性が変わったのか、映画が見れるようになったので、せっかくだし、作文以下の感想を書いていきます

『第9地区』(2009) :: 要するに「己の敵」は「浅かな自分勝手」さなのだ

 

第9地区 [DVD]

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  知り合いの家で見ました。

 ざっと要約すると、宇宙船が地球上にぴったりとしまった。そのときからエイリアンと人類は共存するのかどうなのか、それとも宇宙戦争なのかという危機感の中で、ゴミ箱をあさったり、タイヤをかっぱらったりするような奴らで、どちかというとチンピラに近い。宇宙戦争の危機は判明したもの、治安が悪くなって仕方ないので、とりあえず第九地区というところにエイリアンを住まわせました、というお話がスタートです。

 で、このテーマ設定ってどうやら南アフリカアパルトヘイトを元にしているらしい。なので、割と社会派なんでしょ?と思うかもしれない。確かに貧困地区を取り仕切っているマフィアが近代的武器を持ちながら呪術を信奉しているところはなるほどと思うし、エイリアンの人体解剖とか、まあ考えることはいろいろある。そこには差別という問題のいろいろな体系がある。

 いや、わかるんだよ。これがどれだけ社会派なのか。でも、これだけは言わせてもらうとして、まず主人公がクズすぎる。主人公は小役人かつ小市民で、エイリアンを第九地区から第十地区に移転するというのを任命としてまかされる。まかされるんだけどさ……どうクズかといえば面白半分でエイリアンの卵に与えていた栄養チューブを外すわ、エイリアンに無茶な絡み方をしたりする。それも笑顔で。この笑顔また本当に楽しくてクズっぷりを強調してくれるのよ。

 で、この主人公がさんざんエイリアンをいじめたりしていい気分で帰ってくると、その任務中のミスによってエイリアンになりかけていく。当然自分がいじめる側からいじめられる側、しかもエイリアンと人間の中間だから相当な価値があるぞー!みたいな話になる。つーわけですたこらと逃げ出すようになった。

 だんだんとエイリアンになっていく姿を見ると、自分が過去にホームレスをやったことがあるせいもあるかもしれないが、「そうそう、こういう風にちょっとずつ染まっていくんだよなー」とか思ったりする。そういう意味では、エイリアンたちというのは、人種の象徴というよりは、貧困の象徴かもしれない。

 あとはネタバレにならない程度で一応書いておくと、この主人公がつとめている兵器開発会社のおっさんもかなり狂っていて、自分のビジネスのことなら人生なんて何も考えていない。さらにマフィアはマフィアで自分の縄張りを成長させるためにはりきっている。エイリアンは基本的にバカだからどうしようもない。

 そのなかで、機械を組み立てたり修理できるほどの技術力を持ったエイリアンがいるのだ。この主人公とエイリアンの対比があるからこそ、主人公のクズっぷりが引き立つし、エイリアンの人の好さが浮き彫りになる。

 とはいえ、主人公とエイリアンが取り交わした約束が違うことで主人公大暴れ、警察らしき奴らに仲間のエイリアンが殴られようがなにされようがおかまいなし。そして、宙に浮いている宇宙船で自分の体を治療してもらおうと思ったけど、ミサイルが当たって破壊。お前はバカか、としかいいようがない行動が多くてとてもよい。

社会的風刺

 問題は、この映画が単に「エイリアン差別」ということを書いているというわけではないだろう。むしろ多くの議論が入り交ざっていて、それぞれの論点をきりとっても面白いといえば面白い。

 例えば、このエイリアンたちは、エイリアンにしか使えない強力な武器を持っている。で、レビューサイトで「なんでエイリアンはそんな強い武器を持っていて抵抗しないの?」という話になる。これは本当に難しい。

 我々の世界でも、貧困層に対して「こうすればいいんじゃないのか」いう理知的なアドバイスをする人々がいる。しかし、そこそこ理知的であったとしたならば、先にそうしている筈なのだ。つまり、エイリアンというのは「強力な武器を持っていながら、抵抗ということを全く想像にも浮かばない奴ら」なのだ。でもこれは笑いごとえでゃなく、いまでもブラック企業などで起きていることと見ることも出来る。

 あるいは近代的な武器を持つマフィアたちが、エイリアンにしか操作できないエイリアンの武器を扱える体になるために、エイリアンをたくさん食べている(食べれば食べるほど同化する、と信じている)という部分に関しては、このような土着としての慣習(これが彼らにとって「医学」なのだ)というところなんていうのは、内紛などにおいて、パワーとしての近代化と、精神的な部分としての呪術が同居し、そしてそれがある種の引き金となっている側面を、べたに再現している。

人間はもう終わりだ!(ついでにエイリアンも)

 よくもわるくも、クソみたいな主人公だからこそ、主人公がひどい目にあっても「むしろやれやれ」となるし、その報いもちゃんと受ける形になる。(それは実際の映像を見てのお楽しみということで)

 単純に言ってしまえば、僕たちはおろかだし、賢いと過信しすぎているけど、そこにあるのは慢心とも呼べるし、浅はかさだったりする。自分が思い通りになるだろうと思っていたことに裏切られる。

 もちろん、これは単純に社会構造の問題でもあるし、人間が内在しているものでもある。ただ、やっぱり「賢い」と思っている俺は、何か浅はかなのだと思うくらいがいいんだろうなと思う。

 あと、この映画の評価を決めるにあたって、「エイリアンは最後の約束を守ったか」それとも「守らなかったか」と考えることでだいぶ変わるだろう。実は、僕は「宇宙人は約束を守らなかった」と、現時点では考えている。この作品はいわゆるエゴイズムがエゴイズムのためにとして裏切られるという話だ。エイリアンの彼はきっと、主人公のことを思いやれる(それはもしかしたら演技かもしれないけどね)ことによって、自分のエゴを達成した、と見たら面白いかなと考えている。