シネマ・リハビリテーション

30歳になって感性が変わったのか、映画が見れるようになったので、せっかくだし、作文以下の感想を書いていきます

『さらば冬のかもめ』(1973) :: 「オトコ社会」のやさしさとくだらなさ

 

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 作品のあらすじはこうだ。海軍に努める二人が、一人の海兵を刑務所に送るように任命させられる。その男は如何にも気弱そうな男である。罪の詳細を聞いてみると、たった四十ドルを盗んだだけ。それで除隊させられ、八年、牢獄にぶち込まれることになるという話である。しかし、刑務所まで送り届ける期間はたっぷりとある。そこで、三人は、ゆっくりと羽を伸ばすことにするのである。

オトコ社会のくだらなさ

  まあ、正直下品な映画ではある。下品っていうのは何かというと「オトコ社会」的な下品さである。で、レビューを見ても「そういう部分に対してどうか」みたいな意見があったりして、その意見もわかる。だけど、これが向いているのは、「オトコ社会」というもののしょうもなさだと思う。

 単純な批評こそ簡単で、これは如何にして純朴な青年が、粗暴な海軍という文化に染まっていくか、という話である。チーズバーガーを焼直してもらうことも言えない、刑務所にぶち込まれる男は、人をぶちのめすようになるまでになる。そして娼婦の館にいき、女性を買い、一晩をモノにする。

 さて、このように書いたとき、如何にもありがちな話のようにも聞こえる。基本的には、自分はこういう文化をいいとも悪いとも判断はできない。が、しかし同様にこの文化がどこからやってきているものなのかということもなんとなくわかる。

 この物語というのは、そもそも「理不尽さを背負わされたとき、どういう風にやりすごしていくか」という問題があるように感じる。実際、この除隊させられた男の背景は、ただ現実に疑うことなしに、受け入れるという態度しか行うことがない。だからこそ、逃亡しようともしない。

「望むこと」のつらさ

 しかしこのオトコ社会というのは、もしぴったりはまらなければ苦痛でしかない。だが、ぴったりはまってしまった場合、それはそれで非常に楽しいことになる。

 「オトコ社会」というのはくだらないものではあるものの、しかしある部分においては生きていくためのユーモアとして存在しているものでもあるという難しさをはらんでいる。上司の嫌味な命令であったり、あるいは陸軍による嘲笑など、オトコ社会は同様にオトコ社会に見られているという構造がある。そうしたときに、それ全部を爆弾に燃やして消し去れればいいけれども、そうはできないときには何らかの緩衝材が必要なのだ。羽目を外したり、くだらないことを言ったり。そういう一時期の気休めになる場所として、「オトコ社会」は存在している。

 難しいのは、そういう「生きることを覚えること」について覚えてしまったときに、「もっと楽しんでみたい」という欲が生まれるんだと思う。それが最後のシーンにつながるわけだ。その部分を目覚めさせてしまうのは、残酷なことではあるだろう。

 この映画には一つのキーとして「難妙法蓮華経」が出てくる。詳しくはいわないけれども、「難妙法蓮華経」は、この映画では「願いをかなえてくれる呪文」として扱われる。だとすると、そのように唱えるということは、欲望を形作る何かなんだろうとも思う。自分が何かを望み、そしてそれを望んだことをかなえられる。それに気が付いたとき、クライマックスになる。それは実際に見て判断してもらえればと思う。

結局、小者なのだ

 俺が思うに、この映画の滑稽なところというのは、海軍という組織構造の性質の故なのか、上司に対しては、結局のところ「ガツン」というくらいしかできないのだ。彼らは自分たちの海軍生活を不意にしたくはない。それを考えると、やっぱり上がいて下がいて、という構造は変わらないように映していると見えた。

 だからいくら威勢のいいことを言っている彼ら(例えば、バーテンに対して「なんでビールを売らないんだ」と凄んで見せる)にしても、その威勢のよさというのは、悲しくも、その範囲でしかない。それは最後の「ガツン」というシーンに現れる。ささやかな提案。それをひっくり返すほどの英雄でもない。そこがぬめぬめと、みじめったらしく、しかしみじめったらしいからこそいい。

 最後のシーンで映る彼らの姿の背中はやっぱりなんだか小さく感じるものではあるが、そういう背中を、たぶん現実といらだちのはざまで、なんとか妥協して生きているのだ。それはモヤモヤとしたラストシーンになる。でも、それは自分とも無関係ではなく、なんだか自分のことを刺されたようで、棘のようにイガイガと残り続ける作品だと思う。