シネマ・リハビリテーション

30歳になって感性が変わったのか、映画が見れるようになったので、せっかくだし、作文以下の感想を書いていきます

『東京ゾンビ』(2005) :: 人間の「ゾンビ」っぽさを感じさせてくれる変な映画

 

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  確かに、非常にツッコミどころが多い作品。この話の筋としては、工場で働く二人の近くには黒富士という、不法投棄されたゴミでできた山があって、そこには有害な廃棄物はおろか、人間の死体も捨てられている。それらが化学反応を起こして、ゾンビが生まれてしまった。次々とゾンビになる人々の中で、主人公は生き延びるのだが……。

 一応、ゾンビ・コメディーに属するものなのだろうとは思う。特にそれほど血しぶきも出ないし、安っぽいことを考えてみれば、妥当なB級映画というジャンルなんだろうなーという気がするし、いわゆる良作というわけではない。ゆるい会話が続くのは、比較的好きだったりするんだけど、ただそれでも物語的には深みに欠けるところは多い(「この二人の関係は?」とか「えっ、この人教師から性的虐待受けたんでしょ?」とか「黒富士は?」とか「あんなに喧嘩していたのに最期に仲良くなるのおかしくね?」とか「お前悪党なのにあっさり返すんか」みたいな不満が多いのは気になる)。

 要するに人物に感情移入する背景があまりにもなさすぎるので、ただなんとなく「あー、お約束だなあ」と思いながら、ゾンビのようにただポカーンと見る分にはちょうどいいのかなという気がする。そもそも「何も考えずに見る映画」みたいな扱いなので、考えてしまったところで負けである。それほどこう「ガーッ」という盛り上がりも無ければ、カタルシスも無い。

 そういう揶揄はともかくとして、映画を見ていて思ったことを書いておく。

 ゾンビ映画というのは、僕が知る限りだと、何らかの社会不安であったり、あるいは何かの比喩であるという言い方をされることが多い。例えば、ゾンビ映画で人々はなぜショッピングセンターに逃げ込むのか、ということを考え始めると、面白いらしい。で、この映画の「安っぽさ」で考えさせられたのは、「人間がゾンビっぽいなー」と思う、その条件だ。

 前半と後半で題材が違っていて、後半になるといわゆるゾンビから身を守るために街を作り、そこで金持ちと貧乏人が別れて暮らすみたいな描写がある。というか東京が崩壊しているのに何で金が役に立っているのかさっぱりわからないという、そのノーテンキさというか、薄さが、なんだが「あ、この人達ゾンビなのかもしれない」という変な気持ちに陥ってしまう。なんていうか、ゾンビが肉を食べるのをただ追い求めているのに近い感じはある。

 事実、いろいろあって、主人公のアフロが「柔術バカ」になってしまうんだけど、その薄さね。なんでこの二人一緒に暮らしているのとか疑問に思うんだけど、薄さからこそなんか病的なものを感じるというところが良い。ある事件があって、二人組は離れ離れになっちゃうんだけど、そういう心のぽっかり加減が、柔術のカッコよさをひたすら言い続けるあたりとかね。変な話、彼もある事件からゾンビになってしまっている。片や同居している女性も、なんでこんな奴と暮らしているんだという意味では、ゾンビに近い。もっともなんか生きている感じがするのは、ゾンビファイトの司会者という感じがまた変な感じがする。

 要するに、この不気味さって何かっていうと「こいつら何を考えているの?」という不気味さだ。それがあまりにも伝わってこないため、なんだか自動的に動いているような人間のように感じてしまう。そしてそれは一つの「ゾンビ」の条件だと思う。

 これが意図して作られているなら大したものだと思うけど、さすがにそれは無いと思う。逆に意図しない「薄さ」のおかげで、むしろ「ゾンビに見える」というか「生きていないようなぼんやりした感じ」という、そういう「人間の薄さ」みたいなものを描写している。いや、そんなに映画は見ていないけど、でもこれほどまでに生きている感触のしない感じも珍しく、これが他の題材だったら「下手だなー」で終了なんだけど、ゾンビ映画というところで「むむっ」と唸ってしまった。ただ、これは俺が唸っただけで、本当にそれが意図されているわけではなく、たぶんそつなくまとめたいというか、まあとりあえずお約束でまとめておくかという感じがすごい(オチに関してはギャグを挟むのが下手すぎて「殴るぞ」としか思わない)。

 そういう意味では、ゾンビ映画と、この薄さが混ざり合ったときに、「あっ、これ気持ち悪い」というメタ的な意味での「ゾンビ」を感じることが出来るというとこがポイントだなあ、という不思議な感触に陥る映画だなという感覚だった。