読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

シネマ・リハビリテーション

30歳になって感性が変わったのか、映画が見れるようになったので、せっかくだし、作文以下の感想を書いていきます

『ボーイズオンザラン』(2010) :: 君が負けるとわかっていても、ヒーローになりたいと望むのなら

 

ボーイズ・オン・ザ・ラン [DVD]

ボーイズ・オン・ザ・ラン [DVD]

 

 物語の典型として「さえない奴らが、如何にしてさえている奴に一撃を食らわせるか」ということがテーマになっていることがある。これも同じ類の映画だなあという気がする。もちろん、この映画は「冴えなくてモテないオトコである主人公が、とある女性に対して恋をするという話から始まる。一時は上手くいきそうになるものの、しかしとある誤解がきかっけで、すれ違いが起きる。そこから物語が進展していき……という話だ。

 この映画の面白いところは、「皆不器用だな」という一言に尽きる。主人公の不器用さは突出しているんだけれど、でも、その周囲の人々の不器用さも印象的ではある。仕事中に酒を飲んでる男、美人だけど処女の女性、などなど。で、最後まで見てくれればわかるんだけど、「あーあー」みたいな感じでね。見終わったあとに、文字通り打ちのめされてしまう。で、この「不器用さ」って「わかる」と同時に醜い。例えば結婚式のシーンがあるんだけど、あそこで絶叫してしまうところとかね。「それやっちゃいかんだろ」みたいなところが多い。単純に不器用さというか、痛々しさを「それがいいんだ」という感じのところではなく、ただ痛々しいだけでね。そういう意味では、真の意味での「負け犬映画」なんですよ。単に映画として肯定され得ない。そこを含めて「肯定したい」っていう感じがいいなあと思う。だってさ、自分がした行為を説明するところあるんだけど、そこが引く。すごい顔が歪んじゃう。でも、そういう痛々しさ。

 もう一つポイントとしては、たぶん多くの人々は男性視点で、「あの女性なんなの」っていう感じで。俺は終始思ってたよ。ほら、最後のシーンとかも「クソが」って思ったよ。で、隣の風俗嬢もそうなんだけど、お前も「ちゃんとフォローしてやれよ」みたいなところがあるんだけど。いやすごくいいキャラなんだけどね。本当にいいキャラ。だけど、「ちゃんとフォローしてやれよ」という部分も、やっぱり「痛々しさ」なんだよな。皆、悪い意味で、不器用でね。

 で、これってすごく身勝手な話でもあるんだよね。主人公に感情移入しないと「お前な!」という気持ちにならないわけで、俺は女性じゃないからわからないけど、でもこの主人公も身勝手なんだよね。不器用さっていうとすごくいいかもしれないけど、この不器用さって不機嫌にしているところもあるわけでしょ、ってのもわかる。このヒロインの評を、ちょっと女性に聞いてみたいって思うところもある。これって、どれだけ全うなの?みたいな。なんかね、たぶんヒロインはヒロインで独特の痛々しさを持っているのよね。

 だから、これは本当に残酷な映画でね。要するに「俺たちはヒーローになれない」って映画なんですよ。もう一つとしては「お前らオシャレな恋をすると思うだろ?無理だからな」みたいな、そういういい意味でのシニカルさみたいなところが感じられる。それは最後まで見てみればわかる。そして、それって根っこのところで考えているところだと思う。「結局、俺たちはヒーローになれないんだろ」って。それを露骨に見せられる。それを見せられた時に、「そ、それでも俺は!」みたいに叫びそうになるんじゃないのかなって思う。

 で、ここまで考えると面白いかもしれないのは、「俺たちはヒーローになれない」という事実に対して、それでも、一瞬でも「それでもお前はヒーローになる意思を持てるのか」っていう話なんだよね。普通、「お前はヒーローになれないよ」って言われたら興醒めするんだけど、この映画はそういうものかなあと思う。要するに意思の問題なんだなと思う。これすごく残酷な問いだと思う。「ヒーローになれない」っていう事実を受け入れながら「ヒーローになろうとできるのか」って。そこを受け止められるかどうかなのかなあという気がする。そうすると、本当の意味で「ヒーローになるということはどういうことか」ということに行きつく気がする。

 だからこそ、最後のセリフにおける「一生懸命」ってなんなのさとも思える。そういうことを考えさせられる映画だなあと思いながら見ていた。