シネマ・リハビリテーション

30歳になって感性が変わったのか、映画が見れるようになったので、せっかくだし、作文以下の感想を書いていきます

『キャピタリズム』(2009) :: ドキュメンタリー以前に、そもそも映画なのだ

 

  『キャピタリズム』は、サブプライムに向かうまでの金融危機を、面白おかしくドキュメンタリーとしてまとめた映画。

 一つ、感じたこととしては、ドキュメンタリーというよりも、物語的であるなということ。もちろん、ドキュメンタリーだって一つの映像にまとめる以上、あるテーマ性によってまとめられる必要がある。要するに、「剥き出しの事実」みたいなのを放っておいても、それが語るような意味がわからないのと同様にだ。それが編集という役割になる。それは別に映画に限らず、普段生活しているうえで、「あの事件とあの事件はこういう関係性があって……」みたいに考えている筈だ。それを、一つの視点にまとめなおして、それで「どう、こういう風に関係しているでしょ?」と提示するのが、ドキュメンタリーというか、物語という装置の役割ということができる。もちろん、この作文だって一緒だ。

 ということを考えた際に、『キャピタリズム』というのは、かなり映画であるとも言える。全ての物語がそうだとは言わないが、映画というのは、ある困難によってプレッシャーがあり、それが最終的に取り除かれるか、あるいは取り除かれ得ないということによって、カタルシスが生まれる、と僕は理解している。そういう意味では、この映画もドキュメンタリーにしては、かなり物語している。そのあたりの物語について、「それちょっとドキュメンタリーとして強引じゃないの」と思うところもあるし、彼自身のイデオロギーについて鼻がつくところも多くあるのではないだろうか。結末についても、「え、それでいいの」と思わないことはない。ただ、最後はカタルシスが何処かに用意されていなければならないし、主人公は勝たないといけないでしょ、みたいなところで、明確に物語の力みたいなものを、意図的に転用していようにも感じる。ちなみに、この映画の主人公は「労働者」ということもできる。

 この映画の一つのテーマとして「アメリカンドリーム」の話がある。映画を見ながら、その「アメリカンドリーム」に言及するところで「あ、やっぱり」と思うところもあった。それは、いわゆる「俺は今、落ちこぼれているけど、いつかは巨額のお金を生み出すのだ」という奴だ。そして、その「あなたにはアメリカンドリームを掴む権利がありますよ」といって忍び込むのが、いわゆる金融商品であり、それこそサブライム問題の裏側にあったものであるように映し出している。それは明確に「住宅を持っているあなたは豊かな資本を持っているわけですから、それを賢く運用しないと損ですよ」という奴だ。そして、その「アメリカンドリーム」というのは、裏側に「あなたは賢いんですよ」という悪魔のささやきがある。それは、「自分が賢い」と慢心したときに現れるものでもある。というか、これの中心に出てくるウォール街においても、そういうのはあったんだと思う。そして、これが一つの「金融」というシステムを動かしている要因の一つとなっているのは疑いようがない。

 しかし、一方で、実はこの映画の裏側にあるアメリカンドリームにも気が付いた。それは「民主主義」だ。この映画では「資本主義」というアンチヒーローに対してぶつけているヒーローは「民主主義」である。そして、「民主主義」というのも、一つのアメリカンドリームであるのだな、ということに気が付いた。つまり、「この不正というのは、私たち一人一人が団結すれば打ち破れるものである」という装置としての民主主義だ。僕はこの二つが何処まで近いものかはわからないが、少なくともこの映画の中では、資本主義が民主主義を、民主主義が資本主義をにらむ相手のものとして、お互いを描いているという感じはある。そうやって見ていくと、なぜ最後に「オバマ大統領の選挙戦」なのか、ということも感じさせてくれる。

 つまり、この映画というのは、いわゆる通称としての「アメリカンドリーム」なるものの正体をあぶりだしているのだが、その「アメリカンドリーム」がなせるのは、民主主義というものがあるからだということになるし、それを代表する憲法の存在があることを愚直に行っている。逆に言ってしまえば、いわゆる「アメリカンドリーム」の意味をつき壊すのだが、しかしそれが成立するのはもう片方の「アメリカンドリーム」が成立するからだ。だからこそ、この映画において、もう片方のアメリカンドリームが必要になるんだと言ってもいい。それは、いわば「宗教保守」と呼ばれる存在が意図的に見えなくなってしまっているところに、僕は現れているように感じる(宗教関係者に話を聞いているわけだから、なおさらそのブレを感じてしまう)。

 それは、この映画の明確さであり、物語らしさである。そういう意味ではエンターテイメントであって、その政治的な立ち位置に賛同できるとするならば、いいカタルシスを残してくれる映画ではあるのだが、同時に、民主主義の良さは僕も十分に認めつつも、じゃあそれってなんなのさ、という感じでもある。何度も突っ込まれているけれども、ウルトラマンが街並みを破壊することが突っ込まれるわけで、ただその問いが無効になるのは、それがフィクションだからだ。でも、それが現実だとすると、「壊された建物って何なのさ」ということにもなるだろう。それは、「現実」を「物語」として提示するときに、魚の骨のように喉に引っかかる何かであるということは可能だ。

 もちろん、こうやって小理屈をこねているよりも、行動したりしたほうが良いこともわかるし、それはたぶん間違いがない。それは、映画の最終的な結論であるといってもいいだろう。あともう一つとして、これは問題提起であると同時に、「あ、これはドキュメンタリーというより映画なのだ」ということで、「正義が悪を打ち破る」という視点として単に見てみても面白いかもしれない。