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シネマ・リハビリテーション

30歳になって感性が変わったのか、映画が見れるようになったので、せっかくだし、作文以下の感想を書いていきます

『レスラー』(2008) :: 「レスラーとしてしか生きられない」ということ

 

レスラー スペシャル・エディション [DVD]

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  自分の父親が、大のプロレスファンで、いわゆるプロレス雑誌なんかが家に転がっていた。そんな親で育ったのだけれども、自分はそれほどプロレスは好きではなかったし、それほどファンではない。要するに、自分には交わらない軸みたいなもので、さらにいうとこの映画の血みどろのシーンとか「あっ、痛い」と思うくらいには、そういう血まみれの表現も得意なほうではない。だから、変な話、この映画で出てくるレスラーのことは殆どわからない。しかし、この映画は、それこそ痛いほど決まってしまった映画でもある。ここで、気の利いた技名でも出せればいいんだけど、そういう最低限の知識も、実はないし、そういうのとは関係なく楽しめた。

 映画の筋としては、貧乏暮らしをしながらレスラーを稼業としている男が、長年の無理がたたってか、体をボロボロにし、レスラーが出来ないまでに追いつめられるというのが大方の話である。

 端的に言ってしまうと、このレスラーは良く言えば不器用であり、悪く言えばダメである。まず最初から家賃を滞納して部屋から締め出されるところが描かれている。パートタイムとしてスーパーで商品の搬入をしている。ダメとはいいがたいけれども、娘とのやり取りを見ると、お金を借りたといったようなこともあったらしい。ただし、このレスラーは、いわゆるプロレスの中でスターであることは疑いようがない。そして、レスラー仲間のなかでも厚く信頼されている。しかし、一歩外を出ると、娘から見放され、パートでお金を稼ぎ、そして家賃を滞納し、ストリッパーに恋する、という感じだ。リング上では、ヒールを演じてもらい、それを退治するヒーローを演じているわけだが、リングを離れれば、むしろどちらかといえば、ポンコツなのだ、ということを意図させる演出だ。

 ちょっとネタバレになってしまうけれども、ポイントは二つくらいあると思う。まず一つに、実は意図的にリングから退出シーンと合わせているシーンがあるのだけれど、それが考えさせられるものだ。たぶん、シーンの演出から考え、そしてあとから言われる「現実のほうが俺にとっては痛々しかった」というセリフのことを考えると、いわばレスラーで戦うということと、いわば自分が生きるために戦うということは何なのかということを臭わせている。そして、もう一つとして、いわばリング上の「善玉」と、現実社会における「悪玉」というのをクロスさせている(最後のシーンで戦う相手が、戦いの打ち合わせの前に、ビジネスの話をしていることからも、そのクロスがあることを示唆している)し、そしてこのレスラーが「アメリカ」の代表として対比される姿は、いわばこの映画が「9.11」以降に作られたことを意識させられる。

 そういう小難しいことを抜きにして、要するにこの映画の「レスラー」が象徴しているものは「求められぬことの孤独さ」みたいなものなのだ、という風にも言えるだろう。「好きの対比は嫌いではなく、無関心である」といったようにだ。気軽にリングに立たせてもらうという言い方をするけれども、そもそもリングに立たせてもらうということ自体が、非常に大変なものなのであるということを、忘れてしまっている。リングに立とうとするのだけれども、拒絶される。しかし、その拒絶というのが、単純に「可哀想」であるのではなく、むしろ「過去の不摂生が祟ってツケを支払わせられた」という印象のように描いているのは、単なる同情ではなく、そういう風に生きるしかなかった彼への、乾いたような「仕方なさ」を示唆するのにはぴったりだ。

 だから、これは「レスラーであった人の物語」というよりも、「レスラーとしてしか生きれなった男」というほうが正しいと思う。つまり、そこにあるのは消去法である。それは、いわばレスラー、あるいは人生なネガティヴな側面であるということを考えさせられる映画でもある。