シネマ・リハビリテーション

30歳になって感性が変わったのか、映画が見れるようになったので、せっかくだし、作文以下の感想を書いていきます

『許されざる者』(1992) :: 暴力のかっこわるさについて

 いやー、びっくりするほど面白かった。

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  話の筋としては、ある売春婦宿で客が暴れるという事件が起きた。保安官は、それを仲裁するものの、売春婦の気は収まらない。そこで、復讐のために賞金をかける。その賞金に目を付けた若いガンマンは、老いたガンマンを誘って、その賞金首を殺しに出かけるという話だ。

 とはいえ、この話が「あれ、不穏だなあ」と思うのは、その出だしからだ。というのも、いつの間にか、賞金首にかけられた理由として、「バラバラに切り刻まれた」という話になっているからだ。そこで、「なんて酷い奴らだ、殺されて然るべきだ」みたいなことで怒るのだ。あれ、まったくもって誤解じゃないかみたいな感じになる。とはいえ、この映画で重要なのは、このフレーム自体が、誤解と見栄によっているということを明らかにしている。

 事実、もう一人の賞金稼ぎが町にやってくるときに、作家を連れてくるわけなんだけれども、そこに書かれてある事実自体、括弧よく射撃して打ったものではなく、むしろ何らかの事故によって、たまたま勝利したことが明らかになっている。 また、若いガンマンも「自分は冷酷な男なのだ」ということをアピールするのだが、あとになって事実が判明するのだが、これもしょぼい話である。

 また、この街を統治している保安官も酷い奴だということが段々とわかってくる。この保安官は、町に入る賞金稼ぎに対して、銃を収めるように要求するのだが、そもそも自分が気に食わない奴に関しては徹底して痛めつけることしか考えていない酷い奴だ。でも、ロサンジェルスの警部とかこんな感じなのかなーとか思ったりもした。どちらかというと、抑圧的な統治方法とでもいったらいいのかしら。

 自分なりに焦点を合わせるとするなら、実は、これは物語における暴力なるものがどういうものかということを考えさせられる。当然なんだけど、物語において、人を殺したりするシーンというのは、こういっちゃ悪いけど、それこそスッキリとしたものだ。それは簡単に言ってしまえば、カタルシスのせいでもあるのだが、実際はそんなに簡単に人を殺せるものではないし、殺したとしても、何らかの罪悪感が残るはずだ。それこそ、普通の人であるならば。それは昔でもかわらないだろう。

 そこでたぶんこの映画では一番実績のある主人公が過去のことを思い出して震えるシーンがあるんだけれども、それはこの感想を書いていたときに、「ああ、あれが人を殺したというところに起きることなのかもしれないな」とも感じたりした。だからこそ、最後に銃を取るシーンに、逆説的に覚悟として感じた。

 とはいえ、単にそれらが惨めなまま終わるわけではなく、ちゃんとカタルシスを用意してくれているのもよい。最後、どうなるかはこの映画を見ていただけれはわかるんだけど、そういう西部劇のお約束っぽいことを裏切りながら、ちゃんと西部劇として到着するあたりが、ちゃんと面白い。