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シネマ・リハビリテーション

30歳になって感性が変わったのか、映画が見れるようになったので、せっかくだし、作文以下の感想を書いていきます

『マルタの優しい刺繍』(2006) :: 美しい映像が逆に地方共同体なるものの気持ち悪さを映し出す

 

マルタのやさしい刺繍 [DVD]

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  「老人に優しくしているか」と問われると口ではそう言うものの、実際のところはそう上手くいかないどころか、厄介扱いをしたいと思っている。実際、「姥捨て」という物語が生まれるということは、それほど綺麗事のように現実が動いているわけではなく、何処かで邪魔になっているということを明確に暗示しているということだ。

 この映画では、老婆が昔やりたかった下着ショップをやるという映画なんだけど、これ本当に男性にはわからない感じになると同時に、女性だと「ああ、わかる!」という感じの舞台装置がとても面白い。少なくともわかる割合としては、男性より女性のほうがわかるという感じになっていると思う。そしてね、この老婆達がさりげなくオシャレなんですよ。

 男である俺が言うのもなんですけど、いわゆるセクシー下着と呼ばれるものと、カジュアルなスポーツブラって、全然役割が違う。例えば、男性だと肌色のスポーツブラを嫌う人がいたりするらしいんだけど、そういう見方こそが、そもそも下着というのが「自分が自分のためにかわいく聞かざる装備品」だってことを忘れていたりするわけですよね、みたいな話をしたで読んだりしていた。

スカートの下の劇場 (河出文庫)

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  で、さらにいうと、これは地方が舞台になっているんだけど、変な話、「地方共同体」の気持ち悪さみたいなのもちゃんと描いている。悪玉は焦点があって、老婆の「出来の悪い息子二人」という作りになっている。片方は政治家で、牧場経営している人と、もう一人は牧師という組み合わせ。牧場は劣化するし、しかも牧師は牧師で不倫しているというわけで、ちゃんと「あ、こいつら駄目だ」と思わせる演出も巧みだ。

 あと、この美しい映像が、さらにそういう「牧師と党」というわけのわからないものによって、抑圧的に存在していることもわかる。だって、演説できるのは彼らくらいで、彼らこそがいわば世論を作っているわけなんだけど、これがね、また嫌なんですよ。自分は地方から東京に出てきた人間なんだけど、要するに「お前はそもそも何もしてはいけない」って迫ることの何かね。それは小さい共同体だから仕方ないのかもしれないけど、出る杭はつぶすみたいなそんな感じ。

 そういう「駄目な若者」を描く一方で、チャレンジする老人を描いているところも面白い。それは結局年齢ではない、ということを描いている。そして、一つの見方として、「チャレンジする老人」がオシャレであることを考えると、実は地方では「美しくなる」ということそのものが、挑戦的な態度であるのではないかという、そのようなことにも気が付いたりする。

 舞台に相応しく、変化そのものがおだやかに流れていくし、結末も劇的なものではなく、非常にこじんまりとした終わりであるように見える。だけれども、この映画が持っている「老人・女性・地方」なるものの、この不遇さについて向き合っている感じがあるというのもあって、とても挑戦的でいい映画だなと思いながら見ていた。