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シネマ・リハビリテーション

30歳になって感性が変わったのか、映画が見れるようになったので、せっかくだし、作文以下の感想を書いていきます

『デトロイド・メタル・シティ』(2009) :: 音楽を描写することの難しさについて

 

デトロイト・メタル・シティ スタンダード・エディション [DVD]

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  そもそも、映画に限らず、何かの作品で音楽を描くということは難しい。実際、例えば現代漫画表現論としても、ハッとした指摘を行う『サルでもわかる漫画教室』でも、そのことに対して言及がされている。

 

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  話の筋としては、もともと「オシャレ下北・渋谷系みたいな音楽がやりたかった青年が、いつの間にかメタルバンドで成功してしまったけれど、そのギャップに悩み続ける」という話である。そして、この作品には二つのテーマが共存している。すなわち、「自分が求めているような才能ではなく、別の才能を与えられたときに、そのギャップをどう埋めるのか」という問題であり、そしてもう一つは「そもそも誰かに対して歌うということはどういうことなのか」という問題である。この二つのテーマに対して、どういう風にバンド、さらにいうと音楽として決着を付けるのかという問題が出てくる

 正直言うと、まず一つにこの映画って、そもそもバンドのリーダー的存在であり、ヴォーカルの青年のキャラクターの、その二重生活の滑稽さに目線を合わせるのか、そもそも日本におけるメタルシーン、あるいは音楽シーンに目を向けるのか、ということで大分代わると思う。しかし、最後のシーンになってもらえればわかるのだけれど、彼の葛藤を解決するためには、「音楽とは何か」みたいな、そういう問いになるはずだ。

 具体的に言ってしまうと、たぶん落ち込んだりした時にかける音楽であるとか、あるいは元気はつらつとするために聞く音楽というのがあるはずだ。それは「生活としての音楽」という側面があると思うんだけど、この作品では、そのあたりがいまいちよくわからない。つまり、ファンにとってそもそも彼ら「デトロイド・メタル・シティ」という音楽がどう生活においてかかわっているのかがピンとこない。いや、一応なんかそういう手紙が届くシーンはあるんだけど、でもそれが描かれないので、この青年が「バンドどうしようかな」と悩んでいるときの解決に、「えっ?」とも思う。しかも、それが解決において大切な問題であるはずなのにも関わらずだ。

 つまり、変な話なのだが、この作品において、もし「青年の自意識」というものに焦点をあわせるのではなく、「音楽が解決する」という話であるとするのならば、むしろ丁寧に書くべきなのは、彼らが接している音楽というものの筈だ。しかし、この作品において、ギャグパートとしてあるのは、青年の自意識的な部分である。とするならば、変に音楽に絡めなくてもいい筈だし、その解決は自意識の部分で解決するべきものだったのではないか、という気がする。

 厳しいことを書いてしまったかもしれないけれど、つまりこの映画というのは「ミュージック・コメディ」として見ると厳しいものがあって、「若者の青春映画」として見える必要がある。つまり、「青年の自意識が成長していく過程として、音楽はあくまでも踏み台でしかない」という話なのだ、という風に割り切ってしまう必要がある。

 とすると、見るべきなのは、「自分が望んでいる姿と、自分が望んでいない姿のギャップを乗り越え、そこから自分が望んでいない姿を受け入れていく物語」が中心になってくる。だから、音楽にこだわる必要はない。そして、逆説的に「音楽というのはそれほど重要ではないんだよ」ということを教えてくれるという意味では、逆説的に「音楽の姿」についても浮彫にしているのかな、という気分にもさせられてしまった。