シネマ・リハビリテーション

30歳になって感性が変わったのか、映画が見れるようになったので、せっかくだし、作文以下の感想を書いていきます

『ノーカントリー』(2008) :: 理解できぬなら、去れ

 

ノーカントリー スペシャル・コレクターズ・エディション [DVD]

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  話の筋としては、マフィアが持っているお金を盗んだが故に、殺し屋に付け狙われる男の物語である。それだけなら、それほど印象的な映画ではないのだが、何が恐ろしいかといえば、殺し屋の造形である。片方は空気銃のようなもので、どうやら映像の中でも「牛を殺すもの」という説明がされる。この変な平気で、鍵をプシュと破壊してまわる。これがすごくかっこよくて(同時に怖いんだけど)、部屋のドアを見ては「あ、ここをプシュとすれば取れるな」みたいなことを確認してしまったりしていた。

 この映画の感想で割れてしまうのは、そもそもこの「殺し屋」は一体何を示しているのかということだ。コインゲームによって、相手を殺すか否かを決めるこの殺し屋の行動の理解は、確かに意味不明であるのだが、この映画の印象的なところは、いわば老いた男達が「最近の犯罪は理解できない」ということを嘆いているシーンがある。この映画のもともとのタイトルは、「No Country for Old Men」、雑な感じだと「古い男の国なんざない」という感じになるのだろうか。英語力がないので、あまり自信がない。

 この殺し屋が象徴するものは何か、ということに関して、自分が目星をつけたのは、一つの点だ。それは、殺し屋の武器に関する説明である。あるシーンで、牛の殺し方が代わったことを説明するシーンがある。もともとはライフルで殺したりしていたのが、いつのまにか殺し屋の武器になったということを語るシーンがある。そもそも、牛を殺す方法にしたって変わっていくものだ、ということだ。

 この映画の、副次的なテーマとして、「理解できないものの恐怖」というのがある。確かに、殺し屋の方法は理解ができない。なぜ、彼はコインの裏表によって、相手の生死を決めるのか?というのは、この映画の感想を語る上において、重要なファクターになっているように感じる。そして、普段接する上において「理解できないものは何か?」という問いを考えたときに、一つありうるのは「時代」である、というように感じる。でなければ、最近の犯罪が理解できないということについて、あれほどまでに時間を割かなくてもいいのではと思うのだ。

 「時代の変化」というのは、確かに歓迎するべき側面がある一方で、自分の知識を過去に洗い流し、ゴミにしてしまう側面がある。例えば、この殺し屋が述べる「お前のルールには意味があるのか」と問う。ルールを規定するものは、何らかの時代であるということも可能だ。そのルールを守ること自体が、実は窮地に陥ってしまう可能性が高いということを示唆している(なぜ、ビジネス自己啓発書で「変われ」ということが強迫観念のように繰り返されるのか)。

 もう一つ、殺し屋のモチーフになっているものについて、一つ可能性があるものの存在に気が付いた。実はこの映画を見たあとに『ダークナイト』を見ていたのだが、「あれ?」と思ったのだ。なぜ、「あれ?」と思ったのかといえば、コインの裏表で、相手の生死を決定するキャラクターが出てくるのだ。もちろん、『ダークナイト』の製作のほうが、あとであるけれど、バッドマン自体は、アメリカの作品として、長く続いているものだ。もちろん、偶然の一致かもしれないけれど、しかし、「新しい悪役像」として、そういうキャラクターの存在がいるということについて、非常に気になったりした。

 そして、最後のシーンで語る話も示唆深い。直接の話の進展には関係しないから、微妙にネタバレをしてしまうが、最後に「先祖が歩いた道を我々が歩く」ということを述べている。「絶対的なもののように感じられたこと」は、いつかは終わりを告げる。それは、実は殺し屋が最後のシーンで出くわす事故も、彼自身の絶対的な力なるものが、決して絶対的ではないことも示している。

 「ノーカントリー」は非常に「寓話的な作品」という意味のほうが強いように感じる。そして、この寓話なるものを読みとるというのは、物語の快楽というものを十分に味わえる。これは自分の感想なんだけれど、色々な人の感想を同時に聞いてみたくなる、そういう不思議な作品であることも間違いない。