シネマ・リハビリテーション

30歳になって感性が変わったのか、映画が見れるようになったので、せっかくだし、作文以下の感想を書いていきます

『スクール・オブ・ロック』(2003) :: 学校で教えてくれる良い子のためのロック講座

 あー素晴らしい。素晴らしすぎる。このレビューも泥酔しながら書いている。つーか、そういう泥酔勢いでレビューを書くべき映画なのだ、これは。 

スクール・オブ・ロック スペシャル・コレクターズ・エディション [DVD]

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 この映画は、「お堅いエリート進学校」に、家賃も払えなくて困窮したロックバンドの人が入り込んで生徒たちにロックを教えるという映画である。正直、子供たちがロックをすんなり理解しているのはどうなのか(だって、親にチクる子供もいるでしょ)という部分もあるけれど、でも、そんな細かいことはどうでもいいんだよ、ロックしろ!という熱にあふれている。そもそも、家賃が払えないから教師を騙って、しかもエリート校でロックを教えるというところが、すでにロックである。

 ロックとはいえ、しかし障害らしい障害はあまり存在しないというのが正直というところで、トントン拍子という印象は否めない(つまり、都合の良さがある)が、しかしそれは細かいところであるともいえる。映画として面白いかどうかということである。

 この映画の面白いところは、そもそも優等生もロックバンドも同じようなものだということに気が付くことだ。例えば、この偽教師のロッカーは、学校で成績のランクをつけていることに反発を覚えているが、しかし「俺たちが最高のロックバンドだ」ということを目指している。「最高」ということは、つまり、周りを制してトップになるということだ。トップということは、頂点だからだ。

 もう一つ、このロックを教える偽教師も、最初は私利私益であることは間違いない。が、ちゃんと教師としての成長も伺える。教師の役割というのは、生徒の欠点を励まし、そして生徒の頂点に対して伸ばしていくということだと思う。でね、この生徒達って楽器が上手いかというと、それうではないんだけど、最高に乗って励ましてあげる。そうそう、こういう役割だ。

 ただ、映画として面白いのは、「教師のペットになりたければ夢を諦めな」みたいな歌があるんだけど、このロッカーの素晴らしいところは、まざまざと夢を語るところなんだよね。逆なんだよ。夢を見させているんだよね。「ここでドライアイスだ」というセリフなんかは、まざまざにステージの様子を語る。そして、ロックとは楽器を演奏している人達の為にではなく、警備であったり、コーラスであったり、マネージャーも立派なメンバーである。つまり、全部が重なってロックというのが生まれる。そういう姿をまざまざと見せるのは「カリスマ」に相応しい仕事だ(最近だとヴィジョナリーとか言うんだっけ?)。

 そして、細かいところも見逃せなくて、生徒会長はグルービーが嫌だって言われて、「お前は特別だから」ってマネージャーにする感じも、「うわー、こういうプライドは高いけど、音楽的才能がない人の扱いに無駄に長けている」のがいいなと思う。

 そして、もう一つ重要なことがある。「才能がある」ということと「才能を発揮すること」は違うということだ。というのは、本人に「才能があった」としても、それを行使してもらえないと、その才能は埋もれてしまうからだ。そして、このエリート校の生徒達は、「自分なんて……」という自己否定によって「才能」を出さないようにしている。僕自身は、やってみないと、その才能がわからないからやってみているというのがあるけど(この映画感想文もそうだ)、しかし考えてみれば、恥をかくこと、減点法的に評価されることに慣れてしまったなら、才能を出すことができないのだ。これは、一つの「良い子」の問題でもある。悪い子は褒められたらそれだけ記憶して、悪いとこrは忘れるものだ!

 あともう一つの主題として、「ロック」というのは音楽ジャンルとして語られていないということだ。いや、音楽ジャンルの一つなんだけど。しかし、もっとプリミティヴ=原始的な怒り、不満、気持ちを表現することが重要なんだと思う。それは、例えばジャンルを異にするけど、『サイタマノラッパー』も、ラッパーとしての夢が失われたときに、本当の気持ちを歌に乗せるという構造がある。つまり、金にもならないし、誰にも聞かれないけど、俺の気持ちを、目の前のお前に伝えたいという気持ちがあるのだ。

SR サイタマノラッパー [DVD]

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  さらに言うと、誰しもロックだったときがあるというのも伝えている。ロックだったときというのは、反抗期のことである。少なくとも、ビートルズが不良音楽と言われているとき(今じゃ教科書に載っているけど)に思春期だった人たちのことも書いている。それは、大人の事情であり、妥協であるんだけど、でも「三つ子の魂百まで」ということである。だって、大人になったって完全に不満を取り除けないし、酒飲んで愚痴ったりするわけでしょう? そういえば尾崎豊『卒業』もそういう歌でしたね。

ALL TIME BEST

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卒業して いったい何解ると言うのか

想い出のほかに 何が残るというのか

人は誰も縛られた かよわき子羊ならば

先生あなたは かよわき大人の代弁者なのか

俺達の怒り どこへ向うべきなのか

これからは 何が俺を縛りつけるだろう

あと何度自分自身 卒業すれば

 

本当の自分に たどりつけるだろう

 さて、この映画での「ロックとは何か」、ということをどういう風に伝えているかを考える。もちろん、自分が考えるのは、「生き様」という言い方もできるし、「音楽ジャンル」とも言える。しかし、たぶんこれは「生きる技法」なのだ。つまり、ちゃんと不満をいい、気持ちを吐き出し、自分の背一杯の力を出す。ロックも、ヒップホップも、最高でクールな音楽を作りたいという気持ちもあるんだけど、そもそもそれが最高にクールになるのは、それが「言わずにはいられない」というギリギリの部分にあるからだ。そして、それは音楽で稼げなくてもいいのだ。

 だって金は別に稼げるのだ。簡単に稼げるとは言わないけれど、でもお金よりも自分たちが満足していける形でちゃんと生きていくということのほうが余程難しい。それの解答は誰も教えてはくれないだろう。つーか、正解そのものがないのだ。僕たちができることといえば、陳腐になるけど「これが正解だった」ということを信じるしかない。

 しかし、そのスタイルが一つ身に着いたら、生きる糧になるだろう。それが何の得になるかは知らんが、しかし「支え」になるものである。っていうか、クラシックだって、当時にすればかなりパンクな音楽もあり、サイケデリックなんだけど、小難しい顔して聞いてるに過ぎないのだ。

 最後に、背一杯ロックの魂を伝えることで、このロッカーの教師よりも、ロックになっていく。ロックも、ヒップホップも、音楽も、そして映画も、何よりも「生きていること」の肯定なのだ。そして、その肯定こそ、全てを「ダサかっこよく」してくれるのだ(ダサいのは認めよう、でもかっこいいのだ!)。ちなみに、バッドエンドとか「勝つ」ことが、生の肯定ではないからな!

 で、このレビューで「あ、面白そうだな」と思ったら下の本を買え!

  あと、この映画の元になった学校のドキュメンタリがあったらしいんだけど、配信されて終わったまま、終わりっぱなしになっているから、もう一度再配信しろや!!!つーかせめて何かの動画配信サイトで公開しろや!!!